teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


別府湾岸100Kを歩く―読後感

 投稿者:GOTO  投稿日:2009年 8月18日(火)11時37分56秒
  読みました! いえ読まさせていただきました! 大作、力作ですね。読む方も力が入り正直疲れました。本を書く事と、本を読む事の間には深い、深い谷があります。労力、智力、時間。貴方の智力、労力、根気力に感嘆しました。私は由布市庄内町武宮という山村の出身者ですので、海のことは良く知らずにいました。本書を読んで海-海岸というのは
変化に富んでいるということをはじめて知りました。勿論大分臨海工業地帯によって別府湾が埋め立てられ新日鉄が誘致されたことは知っていましたし、東京湾の埋め立ても知っています。しかし身近な感覚で海が変化していく事に改めて感動しました。沖の浜という島が無くなってしまったことはどっかで聞いていましたが、そのときに大津波に襲われた事は知りませんでした。山村の変化は道路が出来たとか、橋が出来たとか、大水で谷が壊れたとか、
海の変化に比べれば微々たる変化でしかありません。又日出に玖珠森藩の領地があったとか、別府は天領、鶴崎は肥後藩とか、大分の小藩の分立は知っていましたが、そんなに藩領が入り混じっていたとはびっくりです。私の出身地庄内町も府内、岡、延岡、肥後、天領と分割されていました。本書の中の地元の方々の対話や感想に貴方の人間性が現れていて面白かったです。お会いした事はありませんが、きっと思いやり深い、郷土思いのやさしい人なんでしょうね。伊能忠敬が大分の内陸部を測量したかは知りませんが、もし測量しているならば次回作は 『伊能忠敬-豊後路を歩く』 を期待しております。
とりあえず お礼と読後感 おおきに、よかったで、また書いちょくれ
                              GOTO
 
 

届きました

 投稿者:牛ちゃん  投稿日:2005年 8月15日(月)20時47分46秒
  エビスさん、こんばんは、牛ちゃんです。

今日、会社から戻ったら「別府湾岸100kmを歩く」が届いていました。
早々に送付頂きありがとうございます。
すごい労作ですね、もっと薄い冊子かと思っていましたが、包みを開いてびっくりしました。
私も気合を入れて読ませてもらいますね。

http://charider.cside2.com/Nonbiri/

 

牛ちゃんへ

 投稿者:エビスメール  投稿日:2005年 8月12日(金)16時00分58秒
  牛ちゃんへ

早速、書き込み有難うございます。
忠敬は、①55歳を過ぎてからの業績、②好奇心とその学習意欲
③粘着的性格とマネージメント能力等が大好きです。

忠敬同様、私も湾岸周回中に目的が変わりました。
「湾岸を巡り記録に残す」→「自然海岸保護(環境問題)」
環境問題で行政、土建会社等とガンガンやっていますので、最近、
別府湾に浮かぶのでは、心配しています。

弊書、早速送らせて頂きます。極めてローカルな本ですが、内容に
ついて御批評頂ければ幸甚です。

忠敬、芭蕉も好きですが、長州藩吉田寅次郎(松陰)の行程行脚も
すごい、です。こうなると、超変人です。
「西遊日記」序より
「心はもと活きたり、活きたるものには必ず機あり、機なるものは
 触に従ひて發し、感に遇ひて動く、発動の機は周遊の益なり」
松陰の足跡を、自転車で廻っては如何がですか。

牛ちゃんのHPはリンクさせて頂きます。
では、また。
 

はじめまして

 投稿者:牛ちゃん  投稿日:2005年 8月11日(木)21時02分3秒
  エビスさん、はじめまして、自転車が大好きで、休みになるとあちこち走り回ってる牛ちゃんです。
私も伊能忠敬や松尾芭蕉が大好きなのですが、ひょっとしたら私にも放浪癖?があるのかもしれません。
私にもぜひエビスさんの汗の結晶である「別府湾岸100kmを歩く」を読ませていただけないでしょうか?。
よろしくお願いします。

http://charider.cside2.com/Nonbiri/

 

矢島さんへ(海門寺)

 投稿者:エビスメール  投稿日:2005年 7月19日(火)21時48分32秒
  矢島さんへ

お久しぶりです、毎日、暑いですね。
誠に失礼ながら、覚正寺住職のお話し、信用に足らず、です。
(1)海門寺が覚正寺の末寺
  現在は末寺でしょう。そして末寺になったのは少なくとも
  明治中期以降と考えます。
 (理由)
  明治初期に新政府が「寺院明細帳」なるものの作成を命じています。
  その中に、海門寺の由緒あり(日出町誌 附属編P956)
  以下原文です。

  大分縣管下豊後國速見郡平道村字高平
  臨済宗東福寺派  東福寺派末 宝林庵
  一、本尊 釈迦如来
  一、由緒 往古小坂村字海門寺ニ宝林山海門寺トテ一寺有之、大友
       兵乱ニ焼失、当時(寺?)仝村字高平ニ移転、何レノ時
       ヨリ宝林庵ト唱スルヤ不詳。
  一、本堂兼庫裏 竪四間六尺 横六間二尺
  一、鐘堂    竪一間一尺 横一間一尺
  一、境内    二百三拾七坪 民有地第一種 高倉徳三郎
  一、境外所有地
        ・
        ・
  一、信徒    百二拾人

* 本堂、鐘堂、境内は現在地に移る前(国道10号線西側、字高平)のも
  のであろう。
なお、現在地には字高平から、昭和22年移転と「城下町日出ふるさと
歴史散歩第2集」(P80)に記載されています。
高倉徳三郎氏は、小坂村の庄屋か。信徒であった現高倉家の当主に聞く
のが一番判るのでは、と思います。

(2)豊後國古城蹟並海陸路程(江戸正保年間の作)
 「(松平将監領分)・・・・速見郡竈門庄小浦村、東に當り海門寺山跡出崎有。
・ ・・・。寺山西の麓に豊前への道有。寺山の高さ海際より山上迄、坂の
内弐拾壱間。上の場の廣さ、南北へ弐拾九間。東西へ弐拾間。・・・・寺山
いにしへ百姓等とりあがり申候場の跡也」

本資料は、幕府に提出したもののようで、信頼性が高い。少なくとも、正保
年間(1645年頃)には、海門寺の旧跡(現ホテル)がまだ、確認できたよ
うである。由緒にあるように、大友兵乱で消失したというのも頷けないこと
ではない。
この他、別府市にあった東福寺派の「吉祥寺」(現大分市向原)の寺伝も興味深
いです。

(3)伊能忠敬の宿泊
  測量日記によると、別府を出立した伊能測量隊の一行は文化8年1月
  5日に、小浦村の庄屋脇屋宅、辻間村の庄屋松川完平宅に分かれて宿泊。
  (屋敷スペースの関係か?)

  海門寺に宿泊はしていませんし、全く関係ありません。
 

豊岡 海門寺について

 投稿者:矢島嗣久メール  投稿日:2005年 7月17日(日)18時58分5秒
  豊岡 海門寺について

平成17年1月8日(土)の語り部の会での講演会にはお世話になりました。
その際、日出町豊岡の海門寺のことがでていました。
インターネットでは別府湾ロイヤルホテルの場所にあったとされていましたので、豊岡の覚正寺の住職にお聞きしましたところ、ロイヤルホテルの国道10号線の西側の山上に海門寺があるとのことでした。ホテルの西側の国道に道が二つあり、右手、北側の上り坂を行き、かなり山上近くに民家風の海門寺がありました。85歳の女性が住んでおられて、耳や目が不自由のため詳しい話は聞けませんでした。覚正寺の御住職の話では江戸時代に覚正寺が二度火災にあい、伊能忠敬はやむなく豊岡の海門寺に宿泊されたようだとのことです。覚正寺は西本願寺系、海門寺はその端寺のようです。

2005年7月17日
                                              別府市大畑18-5
                                                    矢島嗣久
                                              TEL&FAX0977-22-9468
                                              Eメール yajima@ctb.ne.jp
担当者 御中
 

レンタル掲示板
/1